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吉條家の歴史

紀州藩の武士の面影と地場が残る、伝統ある大和の名家。

旧伊勢街道に面して立ち、紀洲藩の参勤交代の脇本陣としてしられている。
本陣は西隣にあった秋山家が勤めたが、現在は脇本陣であった吉條家のみが、当時の姿をとどめている。

普通の旅籠には禁じられていた長屋門・玄関を備え、乳釘を打った門屋が残っていたが、戦後、国道169号線の拡幅工事によって取り払われた。「麹屋」の屋号を持ち、酒造業を営み、地主・山林、紙問屋などを兼ねた、大和の名家の一つ。

明治中ごろには越部にある瓦葺きの屋敷はこの両家のみだったという。明治23年、昭憲皇太后が吉野遊山の際にご宿泊された。部屋には上段の間、床・違い棚・付書院などを備えた書院造りが施され、紀洲家からの拝領品とみられる幕府の奥絵師・狩野常信による雲竜図(17世紀)が伝わり、江戸時代代末期の円山派の画人による梅に鶴亀図襖などが残る。主屋に文化元年(1804)の棟札があり、これより一代ほど先の時代に街道に進出したと推定されている。

なお、環境庁により、近畿自然歩道「紀泉伊勢南街道ふれあいルート」としての整備が進んでいる。三重県から高見峠、高見山を経て、伊勢南街道に沿い東吉野村を通り、吉野川を下って桜の名所吉野山に至る。

吉野山からは、さらに吉野川を西に向かい、維新の町五條市を通過して、歴史の豊かな葛城古道を北上し香芝市に至る。また、吉野山で分岐し、役行者の修行を通り、洞川からみたらい渓谷を通って天川村川合に至る。(大淀町文化財目録引用)


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